幼少期・小学校時代
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 私は、1976(昭和51)年3月14日、東京都世田谷区にて教職にある両親のもとに誕生し、小学校に上がった年に神奈川県川崎市に居を移しました。

 保育園時代は跳び箱と駆けっこは負けたことがないくらい活発で、小学校時代は課外教室で習う器械体操が大好きな「わんぱく・いたずらっ子」でした。

 芸術家肌でありながら体育教師だった父の影響もあり、小学校卒業式の謝恩会で、つたないながらも「猩々(しょうじょう:能楽仕舞)」を舞ったことが思い出です。

 
中学校・高等学校時代
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 中学校入学の直前に、飯舘村の祖父に養子縁組し、母方の姓「杉岡」を名乗るようになりました。村の外で生まれ育った孫の一人である私でしたが、楽しい夏休みを過ごした母方の田舎に、また先人の想いの詰まったお寺に必ず戻ってくる、という決意でもありました。

 また入学と同時に剣道部に在籍し、部活一辺倒の日々を送りましたが、幼少期から好きだった美術、音楽、体育の成績が良く、職員会議では「実技の杉岡」と呼ばれていたそうです。また夏休みに田舎に行くたびに、祖父についてお盆参りをしていました。

 高等学校からは、物理、数学など理系科目を中心に勉強が楽しくなり、中学校時代を知る先生からは、その豹変ぶりに驚かれたものです。

​ 高校2年生の夏に、京都での得度習礼(僧侶になるための修行)を経て、浄土真宗本願寺派の僧侶になりました。夏休み明けに丸坊主となった私の姿に驚く先生、同級生の顔が今もありありと浮かびます。

大学時代
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 ロケット技術者から高校教師に転職した経歴をもつ「高校時代の物理の先生」に憧れ、その恩師の出身校である日本大学理工学部物理学科に指定校推薦で入学しました。また教諭であった両親の影響もあって教職を目指し、大学1~2年生のころは、千葉県習志野キャンパスと川崎の実家を、行きは始発電車、帰りはほぼ最終電車で、往復5時間をかけて通い、教育実習は母校の桐光学園中学校・高等学校で履修しました。

 また、あわせて中央仏教学院で真宗教学の基礎を学び、大学3年生の終わりに教師教習(住職になるための修行)を経て、浄土真宗本願寺派の住職の資格を得ました。そして京都本願寺から福島に戻った日の夜、私の報告に安堵したかのように祖父(杉岡誠見)が往生しました。

 
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大学院・理化学研究所時代

 祖父の「自分が学びたいものを学びなさい」と言う生前からの言葉に従い、東京工業大学大学院に進学しました。大学院では、原子核物理学を専門とする研究室に所属し、素粒子物理学の理論を実証する実験物理を学びました。大学院修士2年のとき、理化学研究所放射線研究室所属のジュニア・リサーチ・アソシエイト(JRA)として、アメリカ・ニューヨーク州にあるBNL(ブルックヘブン国立研究所)でのRHIC-SPIN実験に参加しました。

 素粒子と呼ばれる、見ることはもちろんのこと、観測することさえも非常に困難な大きさの「物理世界を構成する最小要素やその物理量」を、人間が扱える大きさ、精度の検出器で測定することの難しさと面白さを学びました。

 一方で、このとき学んだ知識を10年後の震災でフル活用することになるとは、夢にも思っていませんでした。

 
村へのI(アイ)ターン
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 2000(平成12)年、大学院博士後期(博士号)課程1年生在学中に、母の生まれ故郷である飯舘村に「I(アイ)ターン」(生まれ育った場所から別の場所に移住すること)しました。

 私にとって飯舘村は「母方の田舎」でしたが、いつしか「住みたい」「村びとになりたい」と強く思う大切な場所、「ふるさと」になっていました。

 幼少のころの楽しい想い出から始まり、村の広大な自然、そこに住む村びとの大らかで明るい人柄、生き生きとした笑顔、惜しみのない感謝の姿に惹かれ、憧れるようになっていたのです。

 この想いの募りが、大学院での研究生活をやめて、母方の祖父が住職を務めた善仁寺の住職となることの大きな機縁となりました。

 私は、私に連なる先祖や先人の方々が、それぞれの時代を一生懸命に生き抜いた結果として今ここにある「飯舘村」が大好きです。

だからこそ、この村に「戻ってきた」という言葉を使っています。

今ここにいることは、私にとって一分の迷いもない、必然のものなのです。

村民一人ひとりのために・飯舘村役場への入庁
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 私は、飯舘村に「戻った(Iターンした)」翌年の2001(平成13)年4月に飯舘村役場に入庁しました。

 約200年前の天明・天保の大飢饉のおり、人口が激減して疲弊した相馬藩(現在の相馬郡、双葉郡)を復興させるために、幕末から明治維新直後にかけて、主に富山県や新潟県など北陸地方から移民してきた真宗門徒が、心の拠り所として創建したのが善仁寺です。また真宗移民を受け入れて、ともに村(当時は山中郷)を復興させてきたのが、現在の飯舘村民のご先祖です。

 私が村に戻った大きな理由は、これまで村を支え、歴代にわたり心の拠り所たるお寺を支えて来てくださった「ご門徒さんにご恩返しがしたい」と言う思いでした。そして役場に入るまでの1年間をお寺で過ごすうちに、私が自らの能力を投じてご恩返しをするべきお相手は、ともに村を支えてきた村びと全員である、との思いが強くなりました。これが役場職員になることを決意した理由です。

 このため私は「住民目線の行政サービス」を強く志しました。この志は役場を退職するまで片時も忘れることはなく、「足るを知る」ではなく「足らぬを知る」の精神で自らを鼓舞し続けました。

 今は役場を退職した身ですが、この想いはますます強くなっています。

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